【感想】映画「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」を観て思ったこと
しゅーた(@chibasyuta)です!
この記事では、僕が先日観た映画「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」の感想を書き残そうと思います。
映画を観て思ったことを書いておけば、自分がどんなことを感じる人なのか、何が好きなのか、みたいな思考パターンが観えてくるのかもな、という思いがあり、書いてみようと思います。
なぜ感想を書き残すのか、という話は長くなるのでまた別の記事で詳しく書こうと思います。この記事ではこの辺にしますね。
あと、おそらく多くの人にとっては駄文というか、役に立たない記事になると思いますが、もし興味がある人がいれば読んでください。あまり期待はせずにね。
では、書いていきます!
ネタばれも若干含むので、注意です!
まず最初に書いておきたいんですが「ネタばれを含みます」ので、注意してください。
先に一応これを書いておきます!!
気になったシーン!
記憶の大切さ
作中で「ジェイコブ・コワルスキー」という「ノー・マジ」が登場します。
「ノー・マジ」とは「NO MAGIC」の略で魔法が使えない人のことを指します。「ハリー・ポッターシリーズ」になじみがある方は「マグル」の方が伝わりやすいかもしれませんね。作中の英国では「ノー・マジ」ではなく「マグル」と呼ぶらしいので。
そこで体調がよくなったら「オブリビエイト」されることをニュートに伝えられるのですが、そこで思うことが少しあります。
「オブリビエイト」とは「魔法に関する記憶を消す」ことです。これにより作中では魔法の存在を隠しています。
それを納得の上で「ジェイコブ」は「ニュート」に力を貸すのですが、記憶に残らない、というのは悲しいな、と感じました。
「ニフラー」が可愛い
ニュートの鞄から逃げ出した「ニフラー」という魔法動物がただただ可愛いかったです。
とくに、逃げる最中に宝石店?のようなお店でニュート達を動かずにやり過ごそうとするシーンが最高に可愛い。
ニュート「どうせ苦しむなら心配するだけ損だろ~」
下記はニュートとジェイコブが「エルンペント」というサイみたいな魔法動物を捕まえにいくシーンでの会話です。
ジェイコブ「え、なんでこんなもん被るんだ?」
ニュート「ぶつかったら、君の頭蓋骨は一溜まりもないから」
ーーーーーーーーーーーーーー 続く
ジェイコブ「え、なんでこんなもん被るんだ?」
ニュート「よし、これあげるから着てて」(防具を着せる)
ジェイコブ「わかった」(不安そう)
ニュート「何も心配することないからね」
ジェイコブ「あんたにそう言われて、誰が信じる??」
ニュート「どうせ苦しむなら心配するだけ損だろ~」
このような会話があるのですが、たしかにな、と思いました。
もし心配することで、何かの成功確率が上がるのなら、いくらでも心配するのですが、特にそれはない場合もあると思います。それにかえって心配することで、冷静さがなくなってしまったりと、よくない結果に繋がることもあります。
なら、決断する前まではしっかり心配の力も使って、決断した後は、失敗するにしろ成功するにしろ、心配という感情が好きじゃないなら、心配するだけ損なので、しない方がよい。という考えに至れば、心配という感情をコントロールすることができるのかもな、そう思いました。
オブリビエイトしないの??
「クイニー・ゴールドスタイン」と「ジェイコブ」が「ニュート」と「ポーペンティナ・ゴールドスタイン」を助けにいくシーンがあります。
そこで「ジェイコブ」が「クイニー」に「オブリビエイトしないの??」と訊くシーンがあります。
「オブリビエイト」とは「魔法に関する記憶を消す」ことです。これにより作中では魔法の存在を隠しています。
それに対して「クイニー」は「する訳ないでしょ?あなたは仲間だもの」と言います。
そう言われた「ジェイコブ」は驚きと嬉しさが溢れる表情をするのですが、このシーンが好きです。
「ジェイコブ」が「オブリビエイト」されるシーン
「ジェイコブ」が「オブリビエイト」されずに残っていたので、最後に自ら「オブリビエイト」されにいくシーンがあります。
ニュート達のためにも自分は「オブリビエイト」されなきゃいけない、ということが分かっていたので、抵抗せずに自ら「オブリビエイト」されにいきます。
この時、ニュート達も悲しい表情をしていました。
このシーンでやっぱり記憶は大切だなって思いましたし感じました。
そしてこう考えました。同じような毎日を繰り返していると、記憶は多くならないのかもしれない、そう思ったのです。例えば非日常というか、新しいことをした時の記憶は残っているし、思い出すことができるじゃないですか。でも、同じような2日があったとしたら、それを区別することって難しいと思うんですよ。
なので何か少しでも新しいことをすると、それは思い出すことができる、区別することができる思い出となって残る気がするんですよね。
同じように心地のいい毎日を過ごすのもとても大切でいい時間だと思いますが、そこに少し何かアクセントを加えて、新しい経験を乗せる。すると思い出した時に楽しくなるような思い出が増えていく気がするので、これからはもっともっと積極的に新しいことをしていきたいです。
それは大きなことじゃなくて、小さなことでも思い出になると思うので、つい手軽で、楽で、心地よくて、失敗がない、いつも通りの毎日を送ってしまいそうになるものですが、少しなら変化をつけられると思うので、毎日変化をつけて、よりたくさんの楽しい記憶を貯めていきたいと思います。これからは!
この映画を観たことで、人生をより大切に、より尊く、しっかり味わおうという意識がより強まった気がするので、観てよかったなと思います。
魔法に関することを何も覚えていない「ジェイコブ」を支援するニュート
「オブリビエイト」されてしまった「ジェイコブ」は魔法に関することは忘れてしまいました。
なのできっと「ニュート」とすれ違っても、顔を覚えていないので、何も言わないでしょう。
そんな「ジェイコブ」に対して「ニュート」は下記の「手紙」と「オカミーの卵の殻」を送ります。
「コワルスキー殿
君の才能は缶詰工場では活かせない
オカミーの卵の殻を担保に
パン屋を開いてください
匿名の支援者より」
「オカミー」という魔法動物の「卵の殻」は純銀でできているので、貴重なのだそうです。
また、以前から「ジェイコブ」は「パン屋」を開きたいと考えていましたが、お金がないので現在のお仕事を辞められない状況でした。
ということです。だって「ジェイコブ」は何も覚えていない訳なので、ありがとう、というお礼の言葉さえ言うことができない状況です。
なのにも関わらず、匿名の支援者として、「ジェイコブ」を支援します。
これは、「ジェイコブ」から今後何かかえってこなくても、それでもこうしたいからしたんだろうな、さらに、それについてとても共感しました。
今まで協力してくれたお礼のつもりかもしれませんが、相手は覚えていないので、何も返さなくても問題はないですし、「ジェイコブ」も楽しかったならそれでOKと思っていたかもしれません。
それでも、相手のために何かをする、というのは、自分のためにも最高なんだろうな、と思いました。また自分もこのような見返りを求めない行動ができる人になりたいな、そんな行動をとりたいな、と思いました。
「ジェイコブ」が「パン屋」を開く
映画の最後に「ジェイコブ」は「パン屋」を開くことができました、というシーンがあります。しかも行列ができるほどの人気店です。
そこで売られていたのは「魔法動物の形」をしたパンでした。「見て可愛いー」といお客さんの声もあがっています。
それに対して「ジェイコブ」は「さあ、どうしてだろうね。何となく」と笑って答えます。
ニュート「なんでそう思う?」
ジェイコブ「おれのオツムじゃこんなの思いつかない」
なので僕は誰かとの思い出がもし思い出せなくなってしまったとしても、相手や自分のどちらかが覚えていなかったとしても、何かのきっかけでいつか思い出したりすることもありますし、何かは残っている、と思っているので、思い出せるかどうかに必要以上に拘ることはしなくてもいいな、そんな風に思いました。
たくさん思い出を作って、たくさん忘れるのもいいな、そんなように考えることができました。
まとめ!
記憶は大切!
でも覚えてなくてもOK!!何かは残っている!
こんな感じでまとめたいと思います。笑
では、またね!